記念艦(戦艦) 三笠 [レジャー]
正月三が日は風邪をこじらせて寝込んでしまった kinkin ですが、少しづつではあり
ますが、体調が戻ってきたので(とは言え本調子には程遠いですが)、年始休暇中は
何処にも出掛けられなかったので、チョコッとドライブしてきました^^;
・行ったのは横須賀 三笠公園
昔からここに戦艦 三笠があることは知っていたものの、初めて訪れた kinkin です。
車で我が家から1時間半ぐらいでしょうか。
・記念艦 三笠とは
「三笠」と言う艦船の名を覚えている方も多いかと思います。日本史で日露戦争で
ロシアのバルチック艦隊を撃破したのが戦艦 三笠で、指揮官の東郷平八郎の「皇国の
興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」と言う訓示が有名です。
日露戦争を経て1923年(大正12年)9月1日 関東大震災により岸壁に衝突し応急修理の
ままであったウラジオストク沖での破損部位から大浸水を起こし、そのまま着底。
現在の場所まで移動させ艦底部は地中に埋められ現在に至ります。
ワシントン海軍軍縮条約により艦齢の古い三笠も軍艦籍から除き廃棄することを
決定しましたが、日露戦争の勝利に貢献した戦艦 三笠は「国の独立を守った誇りの
象徴として永久に残すべき」との声が国内外で高まったため条約調印各国の同意を
得た上で閣議において記念艦として保存することになりました。
画像はWikipediaより
・観覧料金
観覧料金は600円で、三笠の右手にある公園内売店脇の
自動券売機でチケット購入できます。買ったチケットを
写真右手の階段を上がると観覧受付があるので観覧券と
引換えして見学となります。
丁度ボランティアによる無料艦内ツアーに間に合ったので
艦内ツアーに同行しながら見学しました。
・無線電信室
狭い場所なので思うように写真が撮れなかったのでHPの画像ですが こんな感じです。
無線室入口脇に縦振り電鍵が置いてあり、自由にモールス信号を打てるようになって
いてアマチュア無線家の性、”CQ”(自分のコールサインも)を打電してしまいました^^;
・補助砲:口径7.6センチ砲
1門の砲を4人で操作したそうで、担当する砲の周りのみで艦上の生活は全て行われた
そうです。
・副砲:口径15センチ砲
副砲も補助砲と同じような4人構成で人員配備されていますが、展示にはハンモックが
ありました。因みに補助砲の担当乗組員も寝るときはハンモックだそうです。
・前甲板より主砲を見る
主砲は口径30センチで、1門10名(だったかな?)で担当していたそうです。なので前後
2門づつの主砲だけで40名の人員がいたそうな。
・艦橋(操舵室)
メインの操舵をここで行っていて、写真上部から下りている伝声管は操舵室上の室外
最上艦橋からの指示を受けるためにあります。なお東郷平八郎が操舵室がある艦橋で
指揮を執らず室外最上艦橋で指揮を執った理由は、東郷が身長157cmの小柄な体格の
ため艦橋の窓の外が見えないからだとか・・・
・室外最上艦橋の羅針盤
この羅針盤と真下の操舵室への指示のための伝声管3本が艦橋上にあります。
・艦橋より船首を望む
艦橋の中央から船首を望んでみました。因みに艦首は皇居の方向を向いているとの
こと。
艦内にも展示物がありましたが割愛します^^; ちと載せきれない
ものですので・・・
・艦を下り前方からの1枚
艦首の菊の紋は1万トン以上の艦船で無いと付けられないとのことで、実物は艦内に
展示されていました、木に金箔を貼った物で1m以上もある大きな物です。
(船首に付いている物はレプリカです^^;)
1時間ほど見学したでしょうか、見学するところも無くなったので
帰ることにしました、帰り際に「横須賀海軍カレー」でもと思い
ましたが、これが結構高いんです^^; 買わずに帰っちゃいました。
・想定外!!!観光メダルがあった
茶平工業のHPには掲載されていないのですが、観光メダルが艦内で販売されていました。
これはラッキー!!
この戦艦が明治時代からあるとは驚きです。100年以上前から
あるんですからね。
横須賀って、こう言った史跡が結構あるので新たなところを
巡りたいなと思った kinkin でした。
では。
ますが、体調が戻ってきたので(とは言え本調子には程遠いですが)、年始休暇中は
何処にも出掛けられなかったので、チョコッとドライブしてきました^^;
・行ったのは横須賀 三笠公園
昔からここに戦艦 三笠があることは知っていたものの、初めて訪れた kinkin です。
車で我が家から1時間半ぐらいでしょうか。
・記念艦 三笠とは
「三笠」と言う艦船の名を覚えている方も多いかと思います。日本史で日露戦争で
ロシアのバルチック艦隊を撃破したのが戦艦 三笠で、指揮官の東郷平八郎の「皇国の
興廃此の一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」と言う訓示が有名です。
日露戦争を経て1923年(大正12年)9月1日 関東大震災により岸壁に衝突し応急修理の
ままであったウラジオストク沖での破損部位から大浸水を起こし、そのまま着底。
現在の場所まで移動させ艦底部は地中に埋められ現在に至ります。
ワシントン海軍軍縮条約により艦齢の古い三笠も軍艦籍から除き廃棄することを
決定しましたが、日露戦争の勝利に貢献した戦艦 三笠は「国の独立を守った誇りの
象徴として永久に残すべき」との声が国内外で高まったため条約調印各国の同意を
得た上で閣議において記念艦として保存することになりました。
画像はWikipediaより
・観覧料金
観覧料金は600円で、三笠の右手にある公園内売店脇の
自動券売機でチケット購入できます。買ったチケットを
写真右手の階段を上がると観覧受付があるので観覧券と
引換えして見学となります。
丁度ボランティアによる無料艦内ツアーに間に合ったので
艦内ツアーに同行しながら見学しました。
・無線電信室
狭い場所なので思うように写真が撮れなかったのでHPの画像ですが こんな感じです。
無線室入口脇に縦振り電鍵が置いてあり、自由にモールス信号を打てるようになって
いてアマチュア無線家の性、”CQ”(自分のコールサインも)を打電してしまいました^^;
・補助砲:口径7.6センチ砲
1門の砲を4人で操作したそうで、担当する砲の周りのみで艦上の生活は全て行われた
そうです。
・副砲:口径15センチ砲
副砲も補助砲と同じような4人構成で人員配備されていますが、展示にはハンモックが
ありました。因みに補助砲の担当乗組員も寝るときはハンモックだそうです。
・前甲板より主砲を見る
主砲は口径30センチで、1門10名(だったかな?)で担当していたそうです。なので前後
2門づつの主砲だけで40名の人員がいたそうな。
・艦橋(操舵室)
メインの操舵をここで行っていて、写真上部から下りている伝声管は操舵室上の室外
最上艦橋からの指示を受けるためにあります。なお東郷平八郎が操舵室がある艦橋で
指揮を執らず室外最上艦橋で指揮を執った理由は、東郷が身長157cmの小柄な体格の
ため艦橋の窓の外が見えないからだとか・・・
・室外最上艦橋の羅針盤
この羅針盤と真下の操舵室への指示のための伝声管3本が艦橋上にあります。
・艦橋より船首を望む
艦橋の中央から船首を望んでみました。因みに艦首は皇居の方向を向いているとの
こと。
艦内にも展示物がありましたが割愛します^^; ちと載せきれない
ものですので・・・
・艦を下り前方からの1枚
艦首の菊の紋は1万トン以上の艦船で無いと付けられないとのことで、実物は艦内に
展示されていました、木に金箔を貼った物で1m以上もある大きな物です。
(船首に付いている物はレプリカです^^;)
1時間ほど見学したでしょうか、見学するところも無くなったので
帰ることにしました、帰り際に「横須賀海軍カレー」でもと思い
ましたが、これが結構高いんです^^; 買わずに帰っちゃいました。
・想定外!!!観光メダルがあった
茶平工業のHPには掲載されていないのですが、観光メダルが艦内で販売されていました。
これはラッキー!!
この戦艦が明治時代からあるとは驚きです。100年以上前から
あるんですからね。
横須賀って、こう言った史跡が結構あるので新たなところを
巡りたいなと思った kinkin でした。
では。